みなさん、こんにちは!お元気ですか?
僕は、すごく元気です。
トップの写真は、バンクーバーでハロウィンのときの写真です♪
カナダに滞在中(※10年前の話です。)
お金がなくなった話をします。
結論。。。。
原因は、、、、、、カジノ。。。
ギャンブルです!笑
カナダにいるときに知り合いから
知人「カジノ行こうよ!日本じゃいけないよ!
しかもいい経験だし!思い出も作れるし!」
俺「いいね!いいね!どんなとこなの?行ってみたい!」
「なにがいるの?だれでも入れるの??」
知人「2つ身分証明書があれば入れるよ!」
俺「カナダで作った身分証明書があるし、いける!」
よっしゃぁ!!
そして
念願のカジノへ入店!
https://maps.app.goo.gl/9q2ekjirKdYz9V2Z9
場所はここです!!
映画で出てきそうな雰囲気で最初は、めちゃめちゃ興奮していた。
そして自分たちは
バカラというものをした。
ルールは簡単で9に近い方が勝ち。
本場のカジノは、しっかりしていて
店員が、もしテーブルからトランプを落としてしまったら
その場で手を挙げて他の店員が来るのを待ち
他の店員が拾うのを待つ
その際に客がなにかしないか、じっとみていた。
イカサマをしないようにか?たぶんそうだと思う。
そして
そのまま3時間ほどゲームを続けて
なんとぉ!
5万勝ち!
嬉しい嬉しい(*^^)v
他の客と盛り上がり
臨場感あってすごく楽しかった。
これがすべての始まりだった。。。。。
それから定期的いくようになった。
買ったり、負けたり合計で
50回ほどいった。
楽しくて楽しくて
働いてお金が入れば行っていた。
ギャンブルにハマったのは
人生で初めてだ。。。
1万円が40万円に、なった日も。
1万円が1分で無くなる日も。
カジノの最長滞在時間は24時間。寝ずにやっていた。
ご飯も店内で食べた。
その時は、24時間経ったことも、気づかなかった。
それくらい、楽しかったし
過集中していた。
その時は、プロギャンブラーに
なりたいって本気で思ってました。笑
これが、THE 依存症
カナダでは、ドミトリーに泊まっていた。
家賃はいつも前払い、週払いも、日払いもできる
泊まっていたところを紹介しようと思ったが
今は閉業している。。残念だ。。。
名前は「 American BackPackers Hostel」
僕は、ここに1年間過ごしていたので
この時のこともまたブログに書きます!
話を戻して
1カ月分は先にホテル代を払っていたが
ホテル代を払った1週間後に全財産がゼロ円に。。。。。
ギャンブル怖すぎる。。。。
途方に暮れていた。
下を向いて歩いていた。。。
どうしよう。。。
うわぁ。。。
まず、住むところはあるがどうしたものか。
食事代は、どうする?
そんなときに同じドミトリーの
スイス人に相談しているときに
たいし!「フリーフードを配っているところがある!そこへいこう!そこが閉まっていたら、教会へいこう!」
自分に光が差した。
え。飯が無料でもらえる場所がある?
その日は、フリーフードはお休みだったので教会へ
10年前の写真が残っていた。
教会に行って牧師さんのお話を1時間ほど聞いたあとに頂ける。
ホームレスなどがたくさんいた。
話したいこと、感謝したいことがあるときは
みんなの前で話ができる。
写真は、スイスの友人が話しているところだ。
僕は、なんとか食べるものに出会えた。
そして食べ物のありがたみをこんなに感じたことがなかった。
別日にフリーフードを配ってる施設に、足を運びそこでも食べた。
写真が残ってないので残念。
それから
パン屋さんでパンの耳だけ無料で配っているのを見つけて
そこで数回頂いた。
それから
毎週末になると
駅の近くで高級車に乗った男二人組が
ハンバーガー200個ほどを持って
ホームレスに配っていた。
そして俺ももらった。めっちゃうまかった。
あの美味しかった思い出は、今でも忘れない。
話を聞いたら、サウジアラビアの人。
学校にもいたけど
サウジアラビアの人たちみんな金持ちだったなぁ。
この生活を2か月ほどした。
その後は
働いていたので、普通の生活に戻った。
僕は、20代前半でギャンブルの怖さを知った。
親、親戚にも頼れず絶望だったが。
なんとか生き延びた。
いまとなっては、笑い話だが当時は相当つらかった。
辛かった中にも、お金がゼロだからこそ
色々な人、場所に出会えて、色々いい経験させてもらった。
自分が経験したからこそ
人に紹介することもできた。
ギャンブル依存してるときは
どうなることかと思ったが、今は良い思い出だ。
生き延びれた、カナダの施設に感謝。
これが僕のお金がゼロで生活していた時の話でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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